【INFO】チョット思うところがあってHNを
【旧】きよち→【新】なつみ(※)
にしました。どうぞよろしくお願い致します。#漢字は那津美#画数多くて学生時代は地味にヤだったw#本名ですどうぞよしなに pic.twitter.com/Gb17KFSo9y
— なつみ@イラストとデザインのひと (@kiyoworks723) August 26, 2019
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目次
本題語る前にまずはこの部分。以下あなたならどう思う?
今の仕事を辞めたくなった
夫との生活に疲れてしまった
育児に追い詰められ笑えなくなった
介護ストレスでおかしくなりそう
オトナを生きていると、日々いろんなこと、ありますよね。まじめに生きる人ほどアレコレ遭遇するのが、この世の理(ことわり)。
もうだめ、自分だけではどうしようもできない。『今の仕事辞めたいんだけどどう思う?』『ダンナとのこれからに悩んでるんだけどさ・・・聞いてくれる?』『育児でもうギリギリ、お願い誰か助けて』『終わりのない介護でもう辛いどうしよう』
もしもある日あなたが何かでいっぱいいっぱいになったとして そんな風にもちかけた先で、詳しい話をいざ話そうとしたその前に・・・
『何言ってんだマジメにやれ』
『途中で投げ出すな甘えるな』
『ちゃんと全うしなきゃダメだろう』
『オトナでしょう責任持ちなさい』
なんて 耳障りがいいだけの 正論というよく切れるナイフで『ぶった斬られた』ら、どんな気持ちになるでしょう。そんな問いを、一足お先に投げかけつつの、以下本題です。↓↓↓
『子供が学校に行きたくないと言った際』の対応とは?
件のTVでは9月1日を前に『子供が学校に行きたくないと言った』際の対応について、専門家の方が回答されていたのですが、『まずは叱らず話を聞いてください(※意訳・正確な文言ではありません)』とのことで、衝撃を受けました。
先に断っておきます。この専門家の方の発言内容について非難するつもりはありません。そうではなく、特集に出るような ある種 権威性のある先生が、予め『まずは叱らず』と枕詞を挟まねばならないことに、衝撃を受けずにはいられませんでした。
専門家が親に対し『ノッケから叱るな』とアナウンスする。つまり裏返せば『子供の話を聞く前に、ノッケから叱る親が一定数いる』という事実がどうしても透けて見えたのです。
なぜ叱るのか?それはやはり『学校はおいそれと休むものではない、オトナになるために当然通うべきもの』という社会通念がずっしり刷り込まれているからで、もちろんそのお気持ちを理解しないわけではありません。また私自身、学校という場所について『安易に休んでいいところ』と軽んじるつもりもありません。
ただ、こどもが『学校へ行きたくない』と言うというそのアクションの裏に隠された“想い”も、軽んじられるべきではない。20年前まさしく不登校だった私は、思わずそう思ってしまったのです。
学校を休むというリスクはコドモだって死ぬほど分ってる
およそ20ウン年前、高校入学したての15歳だった私は、それまでひた隠しにしていた対人恐怖症が悪化した結果 入学してまもなく うつ病になりました。どうしようもない希死念慮(=自殺願望)に襲われ、担任の先生がいち早く異変に気付いてくださるほど血色を失った顔で、フラフラになりながら親に『もう学校へ通えない』と打ち明けました。
幸い親は、私のあまりの形相とただならぬ空気を察知してか、何も言わずに休学を許可してくれました。結果として、不登校を経て中退の運びとなりましたが、今思い出しても、無理やり通わせず休ませてくれた親には感謝の念しかありません。
もしあの時、叱責されたり罵倒されたり、無理やり通学させられたなら、とうの昔に私は命を絶っていたでしょう。事実、休学直前は自転車通学中、ビルを眺めては『この高さなら死ねるかもしれない、このビルならイケるかもしれない』と、ビルを物色する次元にいたからです。
ここまで読んだ皆様はどうお考えになるでしょう。
常識的に考えれば、『死にたく』なるほど追い詰められる前に、親なり先生なり 周りのオトナに相談できればベターでした。そうしたら、中退という究極の選択に及ばず、不登校でとどまっていたかもしれません。もしかすれば、再登校も叶ったかもしれません。
ただ現実問題として、私はそれができませんでした。
対人恐怖が酷かった中学3年間でさえ、必死に口をつぐみ、何でもないふりを装ってどこにでもいる中学生を“演じて”いました。ひとえに『学校は行くもの・休んではいけないところ』という強烈な社会通念と見えざる同調圧力を、子供ながらに感じていたからです。
更に言えば、子供は社会を知りません。学校・友達・家庭(親)が自分のカテゴリーの全てです。経済力もなければ意思決定力もありませんから オトナに従わざるを得ません。
そんな絶対的な存在であるオトナが定めた『学校へ通う』という厳粛な決まりごとを自ら破る。それだけ学校が辛いから…とはいえど 大人の敷いたレールを、リスクしかない中で踏み外そうとする。それは…とても言葉では補いきれない恐怖です。
『入学早々学校休むだァ?!おい清川、お前何考えているんだ!!』
『なつみ、学校がどれだけ大事か分っててなぜそんなこと言うの?!行きたくないだなんて…甘えとしか思えない。将来のこと…真剣に考えているの?!』
『ねえキヨカワさんって最近ガッコーきてないじゃん、なんかウツ?とかで休んでるらしーって、ウチのママが言ってた』『マジで何それ』『てかビョウキじゃないのに学校休むとか、サボりじゃん』『ダッサwww』『てか学校通わなくなるの早すぎ、メンタル弱すぎてウケるんだけど』
『清川さんチのなつみちゃん、なんか最近学校休んでるらしいわよ…』『えー、全然そんな風に見えなかった』『イロイロあるんじゃないの、でもキヨママもタイヘンよねえ』『マジメな子だったのにねえ…どうしちゃったのかしら』
***
全方位から無数に飛んでくる石つぶて。これらの言葉は、誇張はありますが、その一部は実際に私が受けたものです。
全てを敵に回すくらいの覚悟がなければ、学校なんて休めません。そしてそれは、途方もない孤独と絶望を伴います。行くも修羅、休むも地獄。哀しいことですが、これが事実です。
『死ぬくらいなら学校なんて行かなくていい』?
そんな上辺だけの言葉がカジュアルに蔓延する前に、まずは想像して欲しいです。オトナに想像して欲しいのです。子供がどんな想いで『学校に行きたくない』と言うのか。それに伴う莫大な恐怖と勇気と覚悟を、想像して欲しいのです。でなければ子供が報われません。
圧倒的に無力な存在のコドモと称される『小さな“人”』が、自ら死を選ぶくらい追い詰められる構造の根源は、オトナが強固に作り過ぎた社会通念なのですから。
そしてそれは同時に、冒頭の『オトナのイロイロ』然り 子供のみならずオトナ自身も縛りつける楔なのですから。
もっと柔軟に 『生き直し』はいつだって誰だって出来るから
学校に通うことが善。通わない子供は落伍者。そんな、白黒が過ぎる世の中じゃあ 生き辛くはありませんか?安心してください、このご時勢ですから、学校に行かなくなった後の選択肢は山ほどあります。
カウンセリング・保健室登校・転校・通信教育・大検・フリースクール… etc 不登校を取り巻く環境は、私の頃より更に進化し、ドロップアウト後の生き方は今や多種多様。様々な方法があります。
学校を休んだくらいで、人生は詰まない。何なら中退しようが留年しようが、その後の人生を逃げず真剣に取り組めば、生き直しは必ず出来る。不登校・中退・留年を経験しつつ、同級生に2年遅れながらも高校を卒業し、専門学校で学び、就職し、こうしてすっかりオトナになった私が証明します。
明日(2019/9/2月曜日)を控えた今、子供はもちろん、オトナのあなたに、それを知って欲しい。お子さんがもし『学校に行きたくない』と言ったら、この記事を思い出して欲しい。そう願ってやみません。
キミはキミのままで、だいじょうぶ!
※もし少しでも響いたならtwitter で感想くれたら嬉しいな、以上なつみでした!^^
その最中あまりに衝撃を受ける内容があって、ちょっと思うところがあったのでツラツラ記事書いてます、なつみ(※以下参照↓↓↓)です。