【大晦日】2018年とついでに人生も振り返っちゃうよの巻

大晦日 2018年

とんでもなく長かった2018年(※厄年)

相変わらずの御無沙汰更新でほんのこつスンモハン、きよち(36歳/厄年)です。とうとう年末ですよ~いやー今年は長かった。クッソ長かった。やれやれ。

2月鬱発症→4月ブログ開始→6月退職→7月~休職

ご覧の通り盛りだくさんの一年でした。平成最後は厄年も手伝ってなかなかの濃さです。時事ニュースや災害も多かったね~もともと『そういう年』だったのかもね~((しみじみ))

とりあえず傷病手当という福祉があるので来年中頃まではウツ治療というか療養に徹することができるのですが、既に半年休養してみて、ふと思い立つことがありまして。

『ウツ、来年中頃までにホントに治るかな』

傷病手当の期限がリミットみたく感じられて、こんだけ恵まれた環境下に居ながら心配になるわけです。にんげんだもの(きよお)。

今はひたすら現状維持に徹しており、目標を掲げることさえメンタルの負担になりかねず、あんま考えないようにしてますが、それでもふとよぎっちゃう。ウツあるある。

そもそもウツになりやすいこの性分をどうにかしないと、治ったからといってまた再発しかねず、ちょっと痛みを伴いながら、どうしてウツになったのかなと見つかるはずのない原因を探した2018年。そしたら、原因はわからずも、なんとなく、源泉みたいのはわかりました。実家です。

『コドモのまま』子供を育てた両親のこと

正直、育った家庭環境があまりヨロシクありません。娘二人が実家を出た今でこそソコソコ平和ですが、昔はなかなかな荒れ具合でして。

父。母子家庭。一人息子として祖母に可愛がられて育つ。お金とオンナにルーズ。お父さん像が定まらず、娘から見ると『同居してるオジさん』で父性なし。娘が思春期の頃は、家庭内ストレスより自営(飲食店)のレジからお金を抜いては連日飲み歩き。 酔って暴れて店の食器やら何やら破壊。学費のアレコレで娘(私)が泣いて責めたら逆ギレした過去も。60過ぎ孫(甥っこ)も生まれた今、やっとだいぶ丸くなる。

母。3人姉妹の年の離れた末っ子として甘やかされ育つ。自我の幼さゆえ感情のコントロールが利かずメンタルの起伏が激しい。子供のしつけは怒鳴って服従させがち。父との揉め事や同居の姑の愚痴等、長女(娘)にコンコンと聞かせる。悲劇のヒロイン。更年期をこじらせ鬱になり、祖母が亡くなり、娘が独立し、孫も生まれた今、父同様だいぶ静かになる。

二人の怒鳴り声、チラつく離婚話、宗教、アルコール、オンナの影、平成不況。家計は通年冬、嫁姑も年中バチバチ。そんなオトナの狭間で、聞きたくない話、知りたくない事情を聞かされ知らされ続けたのが生まれてから家を出るまでの総括です。

『毒親』?『アダルトチルドレン』?

世間ではこういった家庭の親や子供について、定義してくれる都合のよろしい言葉があり、自分もソコに当てはめてみては何となく気を済ませてきた節があります。わからないって不安だし。空白に何でもいいからブロックをあてがって隙間を埋めたかった。まるで解決してないけど、痛みを伴うから見ないふりしたらあっという間の30代。ついでに見えてきた40代。このままじゃあ不惑なんて程遠いなあ。そんなこんなで正面きっても一度正視することにしました。自分のこころのうち。

相手を理解はしても赦さなくていいと思ったきっかけ

父は母子家庭の苦労が由縁してか、いつも本当の愛に飢えて淋しそう。母は夫や姑との不仲と金銭苦で常にストレスフル。長女の私はオトナたちの痰壷になったけど、いざオトナになってみれば当時の両親の辛さは理解できる。だから赦そう。昔のことをアレコレ言ったところで始まらない。そう思って勤めて明るく生きてきました、でも。

3年前。待望の甥っ子が生まれると。

かわいい。いとおしい。尊い。食べちゃいたい。言葉では到底追いつかない光の存在。ビデオの中、一生懸命お遊戯する姿に、横に居るダンナが引くほど号泣する始末。まさに馬鹿。オバ馬鹿。

こんなキラキラした感情知らなかった。で、ある日ふと思います。

もし甥が昔の自分のように理不尽に怒鳴られたら?子供らしからぬ扱いを受けたら?

想像した瞬間、ドス黒い憎悪と怒りがばぁっと溢れ出て止まらない。赦さない。どんな事情があろうと、どんな状況下であろうと、そんなこと絶対に赦さない。もし自分がその場に居合わせたなら、相手が誰であろうが自分が甥っこを護る。闘う。

と、ここまでありもしない想像話だけで一人でカッカしてみて初めて気づいたのです。甥っ子のことであれば、要するに自分ごとでなければ、何が理不尽でどこまでが理不尽でないのか、安易に測ることが出来ることを。逆に言えば、自分が不当に扱われたことに対しては存外ニブい、という悲しい事実も。

そして残念なことに、今回退職した会社内でも、同じ調子で不当に扱われはじめ、世間一般でいうところの業務過多やパワハラに不感症過ぎて、気づいたときにはウツだったのでした。

私を護れるのはワタシだけという事実

体験した出来事を自分以外の存在に置き換えて、初めて冷静に事象が視れました。あれは不当。不当な出来事。でもそれ以上でもそれ以下も、ない。

もしタイムスリップができて、30年前の実家に帰れるのならば、親を突き飛ばしてでも幼い自分を護ったでしょう。3年前の移動したての前職場でも、同様に自分で自分を護ったでしょう。でもそれはもう叶わない。

刻まれた罵声や恐怖や悲しみは、雨と共に疼く古傷のように、節目節目で現れ続けます。ならば、今は、自分の心を自分で護りたい。そのためには、もう憎んではいなくとも、“あなたたち”を無理に赦す義務も、ない。それが、ワタシの平成最後の最大の悟り。

・・・ずっと吐き出したかったけど、パソコンに向かうたび具合が悪くなりなかなか筆が進まず。今日で区切りとしたいから、イッキに書きあげて新しい年を迎えたいのでUPしました。一生懸命悩んで考えて息すって吐いて、そんな大晦日。悪くないと思うんだ。というわけで、こんなワタシですが、来年もどうかよろしくね。きよちっ!

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